今日は手を抜かずに韓国除籍謄本を全て請求していれば良いことも有りますよ、というお話。
翻訳を付けて提出するかどうかに関わらず申請支援センターの帰化申請手続きでは、身分関係の慎重な確認の為に取得できる韓国除籍謄本は全て内容をチェックしております。とくに別途料金もとらずにボランティア精神で入念なチェックをするのは面倒な事ですが、帰化後に相続等でトラブルにならないように当然の業務です。
さて、現在父母の結婚から幼少時にかけて非常に頻繁に引越しをされていた韓国人特別永住者のご家庭の兄弟姉妹全員の帰化申請を受任しています。
帰化申請をする韓国人自身にとってみれば自分がどこに住んでいたときにどこの病院で産まれたかという記憶があるはずはありません。僕も自分の産まれた病院を知っていますが、それは親からたまたま聴かされていたにすぎません。自らの記憶として本人が取り上げられた盥の様子を記憶しているのは三島由紀夫くらいのもので、実際にはそれも妖しい。
つまりは親の記憶に頼るしかないわけですが、頻繁に引っ越していると記憶もはっきりしない。
さらに今回の案件は、何人かの韓国人兄弟姉妹の出生地は里帰り出産で東京都内、と届出候補地は広がるばかり。
この流れになると、帰化申請業務を始めたばかりの時のように「のべつまくなし」数打ちゃ当たる戦法を取るのも多くの戦死者(不見当証明)の並ぶ光景が荘厳でよいのですが、帰化申請を教えている身としては、さすがに優先順位を付けます。
まずは電算化除籍の出生地記載から、その近所に住んでいたテイで、窓口に「間違い無く住んでいました!」と言い切って決め撃ちしたところ誤射敢え無し。
父母の閉鎖原票等が届いてから順番に無差別攻撃するのも良いですが、ただでさえ最低3週間掛かるところが今年は組織変更のゴタゴタでで2ヶ月掛かりますと出入国在留管理庁から謝りの手紙が届いている。
長引きそうな予感という絶望のパンドラの箱を開けてしまった僕に、昨日取ったばかりの「こーんな分厚い」韓国除籍謄本の束が優しく微笑みかけてくれました。
ほんの僅かな希望を胸に、最初は縦書除籍謄本を確認したところ、まだ目的の末っ子の弟が載っていなくて撃沈。次の手書き横書き韓国除籍をみて、少し小躍りしました。
戸籍整理なのでちゃんと本邦での届出日も書かれているし本邦届出先は区長名までご丁寧に記載されています。
そんなわけで申請支援センター御用達の天王寺サービスカウンターまでとんぼ返りして、今度は制度の高い決め撃ちなのでFAX請求経ても5分で交付されました。
めでたしめでたし。
韓国人の帰化申請